一日一話

光輝く日々よ!それが過ぎ去ったことを嘆くのではなく、それがかつてあったことを笑おうではないか ヴィクトール フランクル

インテリホームレスの宮下さん第二話

 

【第二話 オレは乞食じゃない!!】

 

ある寒い冬の日のこと、

その日は珍しく夜ではなく昼に宮下さんがふらっと訪ねてきました。おそらく図書館が閉館の日だったんだろうと思います。

この寒い時期は持てる服全てを着て現れました。おそらく10枚以上の服を重ね着していたと思います。雪だるまのように膨らんだ感じです。

 その頃は付き合いもだいぶ長くなっていたので、私は喜んでもらえると思って

 

『宮下さん。このところ寒い日が続くから、このジャンパーあげるよ』

 

と着なくなった濃い緑色の厚手のジャンバーをあげようとすると、それまで一度も怒ったことが無い温厚で笑顔の宮下さんが大声で

 

『俺は乞食じゃねえ! そんなものいらねぇ』

と怒鳴り声をあげたのでびっくりしました。それは20年間に及ぶ宮下さんとの付き合いの中で最初で最後の怒鳴り声でした。

 その怒鳴り声を聞いて私は宮下さんが私のところを訪ねてくるのは対等な人として付き合ってくれる人が欲しいのであって憐れみの対象にはなりたくないという意志の現れと感じました。つまり対等な関係です。

ここで話の途中ですが近所の人に聞いた宮下さんの生い立ちを書いておきたいと思います。

『宮下さんは私の住む山国の小さな町で生まれ、中学を卒業した昭和30年代に集団就職で東京の下町の工場に勤めたが長く続かず、その後、山谷で日雇い労働をしていて山谷労働組合の委員長もしていた。ところが40代の半ばで病気になって実家に帰って来たが実家にいる兄がなかなか仕事につかない宮下さんを見て

『働かない奴は出て行け』

と頭ごなしに怒鳴った。

そういう見下した兄の言い方に腹がたち、それ以来実家に帰らず、もう10年以上町中をうろうろ歩きながらホームレスをしている』

ということでした。

 そんなことでジャンバーは受け取ってもらえなかったのですが

『宮下さん。それじゃあ学習塾のトイレ掃除をしてくれないかな。一回500円出すから』

と持ちかけると、一挙に明るい顔になって

『そういうんだったら喜んで毎日でもやるよ』

と言ってちょくちょく掃除に来てくれるようになりました。

 以上、第二話は宮下さんの『俺は乞食じゃねえ』と言う怒りと、お兄さんの頭ごなしの言葉への怒りを記しました。

そして

『なぜ、こうした人から憐れまれたり、見下されたりする言葉に宮下さんがあれほど激しく反応するのか』

ということを考えるました。

その理由は、おそらく15歳で故郷を出て集団就職をして東京の工場で働いたり日雇い労働者として働いている時に周りの人から心ない蔑んだ言葉を投げかけられたことが度々あって、それが原因ではないかなと思いました。

そういった言葉で受けた心の傷が、私やお兄さんの態度や言葉で蘇ったのではないだろうかなと。

どんなにボロボロの服を着てビニール袋を山のようにぶら下げて歩いていようとも

『あんたもオレも同じ命なんだ。それだけは譲れない』

という思いを住む家を失くしても持ち続けていた、と。