一日一話

光輝く日々よ!それが過ぎ去ったことを嘆くのではなく、それがかつてあったことを笑おうではないか ヴィクトール フランクル

日本の民主主義教育の失敗の原因

日本に民主主義というものが根付かない。いつまでたっても日本の政治はまるでヤクザの親分争いをやっている。

政治家は利益集団の代弁者であって日本社会全体を考えて行動ができない。

それに対してたくさんの社会科学者やまたジャーナリストは日本の政治を批判し民主的な手続きで政治が行われるために熱心に努力してきたが日本の政治はますます悪化するばかり。

なぜ民主主義のために努力してきた社会科学者やジャーナリストや教育者の努力は報われなかったのか。

私はその原因は社会科学者やジャーナリストにとっての社会という概念は西洋的な個人を基盤とした上に成立している概念であるのに対して政治家や日本人一般の抱いている社会という概念は人間関係を意味しているからではないかと考えます。

そもそも日本社会には社会という経験は存在せず明治維新以後ソサイアティという言葉に対して社会という翻訳を作りし出したわけです。

日本人の経験の中には個人を基盤とした共同体という概念は存在しなかったわけです.

ですから戦後民主主義社会を作ると言って民主主義という言葉をいくら教育で教えても民主主義社会というものは上から教え込まれるのでなく日本人の個人の確立と日々の社会生活に中から形成されなければ生まれて育つものではなかったのではないでしょうか。

つまり日本の民主主義教育は2階建てであった。二階では社会科学者やジャーナリストが西洋的な意味での社会を議論する一方、一階では政治家や国民が日本的な意味での社会を考え一階と二階の間に行き来がない。1階から見ると2階の先生方は立派なことを言ってるが現実にはそぐわない。政治家は一般国民に投票してもらわなければ当選できないわけで当然人間関係利害関係上での社会ということを考えて国民に訴え政治を行う。