一日一話

光輝く日々よ!それが過ぎ去ったことを嘆くのではなく、それがかつてあったことを笑おうではないか ヴィクトール フランクル

インテリホームレスの宮下さん 第一話

【第一話 茶碗一杯の白湯が最高のごちそう】

 

宮下さんと会ったのはもう30年近く前になるだろうか。

忘れがたい思い出である。

その頃私は学習塾をしており毎日仕事が終わるのが夜の9時であった。

5時から6時が小学生クラス。6時から7時が中1クラス。7時から8時が中2クラス。8時から9時が中3クラス。

ということで4時間のやんちゃで元気な小中学生の英語数学クラスを終えて、少しの疲れを覚えつつもホッとすると、しばらくして教室のドアがガラガラと開いて、宮下さんが現れる。

『お湯を一杯くれや』と言って毎晩現れるのがインテリホームレスの宮下さんだった。

『お湯じゃなくてお茶でもどうだい』と言うと

『お湯が一番ごちそうなんだ、図書館ではトイレや水道はあるんだけど、あったかいお湯が飲めねえんだな。』というので、毎晩お湯を一杯ご馳走していた。

この『お湯が一番のご馳走』という言葉は生まれて初めて聞いた言葉でびっくりしてしまった。確かにホームレスにとってはお湯を沸かすということは非常に困難なことなんだろうと思ったが、茶碗一杯の白湯で満足できる人生は幸せなのかもしれないとも思った.

 さて宮下さんは昼間は每日町の図書館で本や新聞を読んで過ごし、閉館になると近くのスーパーマーケットで廃棄された弁当を見つけて夕食を食べ、その後お湯を一杯飲みたいということで9時までは塾の教室の近くのやぶの中でずっと隠れていて生徒がいなくなってから律儀に必ず10分ほど経ってから現れるのだった。

『俺えみえてのがきちゃ評判落ちるから、みんないなくなってから来てるんだよ』と気遣いのある宮下さんは言っていた。

とても細かい気遣いのある人だった。

『何が1番怖いかって、そりゃ小学生だよ。大人は道で俺を見ても石を投げないけど小学生は 乞食!乞食! と言って追いかけて来て石を投げるからね。子供がいると俺は藪の中に隠れるんだよ』と言っていたが宮下さんが隠れると気配まで消せるほど完全に隠れる名人であった。

そして毎晩その一杯のお湯を飲みながらその日図書館で読んだ本や新聞記事などを私に紹介してくれた。驚いたことには文章だけでなく細かな数字まで全部暗記していて私に教えてくれた.

 なんでこんなに頭がいいのに仕事をしないんだろうかとは思ったが,それを聞くのも悪いと思っていつも黙って聞いていた。それから、その日の求人欄を読んで暗記していて私に言うのだった。

 『この塾は最近生徒が減ってるじゃない。こういう求人があったからここに再就職したらどうだい』と私に勧めてくる。

『こんな塾をやってるより収入は2倍もらえるんじゃないかい。あんたには奥さんも子供も3人もいるんだから』と生活の心配までしてくれる。

そこでいつも私が

『宮下さんよ。俺の心配より自分の心配したらどうだ』

と笑いながら言うと言うと『へへへへ』と言って笑って黙ってしまう。

まあ、こんな話を毎晩繰り返して15分ほど経つと『じゃあ。おやすみ』と言って帰って行く。

いったい家のない宮下さんが何処に帰っていくのか不思議に思って尋ねるのだがなかなか教えてくれない。

それでも1年ほど経ってから

『いったい夜どこで寝てるの』と聞くと『へへへへ』と笑いながら

『あの山の麓にある防空壕の中で寝てるんだよ。』と教えてくれた.

第二次世界大戦中の防空壕がまだ残っていたんだ。これにはびっくりした。

こんな感じで毎晩一杯のお湯を片手に笑いながら話をしていたのだが

『一体宮下さんはお風呂はどうしているんだろうか?』

『一体なぜホームレスになったんだろうか?』

『一体こんな冷え込みマイナス10°cにもなる時に防空壕でどうして生きていられるのだろうか?』

と疑問が次々と湧いてきた。しかし、なかなか聞いても笑っているだけで答えてくれなくて,それらを聞き出すのには数年の月日を要した.

それについては、面白い答えが返ってきたので、また、そのうち、ぼちぼちと書いていきたいと思う。

宮下さんはもう10年程前に天に召されたのだが,こんなことを書いていることを知ったら『へへへ』と笑いながら、防空壕のある山に向かって歩いて行ってしまうような気がする。夏の日も冬の日も陽気で軽快な足取りで歩いていた。